ヨガの基本、方法などを内藤景代の本で学びませんか? NAYヨガスクール お問い合せ: e@nay.jp
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【ヨガの目的・ヨガとは何か?】
ヨガの究極の目的は、創造力の源泉である自分の内部の混沌としたチカラを、ヨガと瞑想で、荒馬を乗りこなすように、コントロールして〈究極の境地〉という悟りにまでもっていくか?ということです。
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内藤景代著 『聖なるチカラ と形・ヤントラ』 |
「創造力の源泉である、この馬(大地に向かう欲望のチカラ)を、意識が荒馬の手綱をあやつるように乗りこなして、どうしたら究極の頂上の“解脱の境地″まで、いけるか?」
というのが、ヨガの行法(実践)と哲学(理論)の、基本的な目的です。
そのために、ヨガのポーズや呼吸法、冥想があり、冥想の道具・ヤントラがあります。
それらをどう組みあわせるかで、たくさんの「ヨガの流派」があります」
(内藤景代著『聖なるチカラと形・ヤントラ』第3章より)
内藤景代著『ヨガと冥想』 は、ヨガの目的は、「たましいをしるための具体的な方法」として「理の巻」「行の巻」の、理論と実践に分け詳しく説かれています。
一言で言えば、「ヨガとは、たましいを知るための具体的な方法」なのです。
ヨガは、バラモン教の正統六派の一つである「ヨガ学派」を形成しています。
この「学派(ダルシャナ)」という言葉に、バラモン教の特徴が現れていると思います。「学派」は、「見解」とい、意味です。
同一の実在に対する、さまざまな立場、すなわち見解が、六派あり、どの学派もそれぞれのやり方で、解脱(げだつ)に達することを目標としています。
これが唯一・絶対であり、これ一つに統一しなければならない、という凝縮的なところが、バラモン教からヒンズー教につながるインド的発想にはないのです。度量が大きいともいえます。
インド風というのは、とても開いていて、拡大的で、それぞれの「ちがい」を認めながら、中心核の「同一性」を保ってきたのです。
ここで、ヨガというのは、呼吸や姿勢、精神統一や冥想などの、いわゆるヨガの行法により、解脱をめざします。実践派です。
そこで、さまざまな学派や流派、とヨガは結ばれ、その哲学を体験する、実践部門になりました。
仏教やジャイナ教も、ヨガを取り入れています。
内藤景代著『ヨガと冥想』(実業之日本社刊)より
(内藤景代著『ヨガと冥想』 内容と目次はこちらへ)
【現代のわたしたちにとって、ヨガの目的とは何か?】
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内藤景代著 『綺麗になるヨガ』 |
ピタゴラスが名づけたように、この宇宙(コスモス)は、一定の秩序をもった、有機的な、「生きている全体」であり、単なる部分や無機的な「死んだもの」の寄せ集めではありません。
ただの「物質」の寄せ集めが、この宇宙では、ない、のです。
同じように、わたしたち「人間」も、ただの「肉の固まり」に
「コンピュータ的な頭脳」が埋め込まれた、
精巧なロボットのような存在では、ありません。
人間は「知性をもった、ただの物質の固まり」だけでは、なく、
別の面もあります。
心とからだ、見えるものと見えないもの、力と型を持つ、わたしたち人間もまた、
一つの有機的な、生きている全体であり、宇宙(コスモス)です。
この宇宙を「大宇宙(マクロ・コスモス)」とすると、
わたしたち、人間は「小宇宙(ミクロ・コスモス)」です。
大宇宙に、「波動」の次元で、呼応して、
イメージ的に相似形の秩序をもった、小字宙が、人間です。
ヨガの目的は、大字宙と小字宙を結びつけ、
宇宙(梵語・プラーマン)と私(梵語・アートマン)の関係を知ることです。
それは、〈自分自身を知ること〉であると同時に、
〈宇宙の全体像を知ること〉でもあり、また、〈究極の実在を知ること〉でもあります。
(詳細は拙著『冥想―こころを旅する本』)
そして、【人間は、〈アートマン=聖なる魂〉を宿す、移動神殿である】と知るのです。
(内藤景代著『綺麗になるヨガ』 実業之日本社刊 より)
このサイトの「ヨガとは」の項も、ご参照ください。
このサイトの「ヨガとシャカの関係は」の【限りあるいのち、だから、この世で悟る。】をお読み下さい。
内藤景代公式HP−「BIG ME club」 「ヨガと冥想(瞑想)とはなにか?」をご覧ください.
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